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東日本大震災ブログ

まっすぐな想い~部活動支援が果たしたもの[木村雅子のブログ]

[ 2012.3.24 ]

「バスケットボールが好きなんです。バスケをやってる時が一日で一番楽しい時間なんです。」
クラブ活動支援の一環として、宮古工業高校のバスケットボール部に新品のユニフォームを届けに行った時、部員の一人が静かに、しかし真っ直ぐな口調で語ってくれたこの言葉が、何故か強く胸を突きました。

震災が起きた時、同校はクラブ活動の時間でした。学校に居た生徒たちは、教員や避難してきた地域住民の方と一緒に、押し寄せてきた津波から逃れるため校舎の2階へ、3階へ、より高い場所へと移動しながら逃げました。教室の窓からは、周囲の家や車を次々に呑みこみながら、黒い水が激しく逆巻いて向かってくる様子が見え、その光景は映画でも見ているかのような現実離れしたものに思えたそうです。その夜は雪が降る、冷え込みの厳しい晩でした。電気も水も食料もなく、外部との連絡手段も絶たれて、家族の安否確認もできないまま、高校生たちは気丈に、校舎中のカーテンを外して毛布代わりに配ったり机を並べて簡易ベッドを作ったりと、率先して地域の人々のケアを行ったそうです。

震災後、校舎が復旧するまでの間、同校は分散して他校に間借りし、授業や部活動を行ってきました。ようやく自分たちの学校に戻って来られたのはおよそ半年後。部活動を行う環境も徐々に整えられていきました。

バスケ部員G.JPG

宮古工業高校バスケ部のみなさん

当時の様子を振り返り、バスケットボール部顧問の後藤先生は次のように話してくださいました。 「とにかく想像もできない事態でした。そして生徒たちはみんな、どこかよそよそしいような"我慢する高校生"になりました。家を流された生徒たちなんか相当きつかったはずなのに、辛いなんて一言も言葉に出すことはなかった。そんな時に、例え体を動かしてやり切れなさを発散したいと思っても、"スポーツをやりたい"なんて、とても口にはできなかったと思います。
でも、こうしていろんな支援をしてもらって、周りに遠慮することなく体を動かして部活動できる環境が整ってきたら、生徒たちが"普通の高校生"に戻ってきたんです。今までどうしても震災の事が頭から離れなかったのが、前のように部活動をできるようになったことで、何か震災を忘れられる一つのきっかけになったんじゃないかと思います。」

冒頭に聞いた部員からの、掛け値のない真っ直ぐな言葉が再び思い出され、胸が締め付けられるような気持ちになりました。
何ら贅沢なことでもない、毎日、当たり前に行っていたことが、ある日突然、暴力的な力で日常から喪失すること。その状況が改めてリアルに感じられた出来事でした。部活動支援が及ぼし得る可能性についても考えさせられました。

部活動支援については、同校の眞岩副校長先生から以下のようなお話しも聞かせていただいたのでご紹介します。

眞岩副校長.jpg

震災当時の様子を語る眞岩副校長先生。

「学校の災害復旧は授業再開に関する支援が最優先になり、部活動実施の環境整備が後回しになってしまうのは致し方ないことです。しかし、部活動の支援は必要でした。
部活動が正常化し始めてから生徒の活気が前と全然違ってきました。復興には若い力が必要です。物理的に次代を担う活動を行うのはまだ先の話ですが、生徒が明るく元気になると、地域に即効的な勇気や元気が波及するんです。その意味で、部活動の正常化は生徒にとっても地域にとっても重要でした。」

震災の1週間後、当日の生徒たちの奮闘に、地域住民の方々から「宮古工業高校に助けられた」という声が届けられたと聞きました。このことについても副校長先生は、日頃から部活動で培ってきたチームワークがものを言ったのではないかと仰っていました。敢えて何かを言わなくても、自然と役割分担ができていて、統制のとれた動きができたのではないか、ということでした。

健全な若い力を育んで"地域復興の源"になる。宮古工業高校の願いは今後、更に力を携えて、着実に周囲に及んでいくのではないかと思います。



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