
「こんなに恵まれていると思ったのは初めてです。CAREが一番に支援を届けてくれました」
Wiwik Widyastuti
(2009年10月7日、 Korong Barang-baragan村 、西スマトラ州、インドネシア)Korong Barang-baragan村は、Pariamanの街から45キロほど離れた高地の崖に位置し、世界から隔離されたような場所にあります。この村は電気もなければ、水道も引かれていません。9月30日の午後に地震が発生した際のインフラや家屋への被害は甚大でしたが、外部からこの村への支援はなく、村人たちはひっそりと生き延びていました。
38歳のSari Navanは、生まれてからずっとこの村で生活をしています。彼女の両親と祖父母、曾祖父母もみんなこの村で生まれました。Sariは45歳の農業に従事する夫・Jafriと3人の子ども―12歳のResmon、7歳のSapriyanto、4歳の娘Sri―と暮らしています。彼らの家と畑は崖のすぐそばにあります。
「地震が起きた時、家族はみんな運動場にいて、バレーボールの試合を見ていました。突然、地面が揺れ始めたのです」とSariは自分の緑色のスカーフを巻きなおしながら教えてくれました。地震の後すぐに、家族は家へと急ぎ、深刻な被害を受けたことを確認しました。絶望的になり、彼女は泣き続けています。「我が家は失くなってしまいました。」
地震の大きな揺れは、家を破壊しただけでなく、貯水タンクも破壊しました。家の裏手にあった、雨水を貯めていたタンクは、潰れてしまっていました。「七日間、私たちは家にいることが怖くて、野宿をしています。そこに壁があると、ほんの少しの揺れて崩れてしまうのではないかと怖いのです。」
被災から6日後、CAREの緊急チームはこの村へ支援物資とともに到着しました。「この村が遠隔地にあり、またアクセスも悪いために、何の支援も受けていないという情報を得ました」とコーディネーターのAdjie Fachrurraziは言います。「そして、それを知ってすぐにこの村へ来たのです。」
緊急チームは、衛生キット、毛布、水の保存用ポリ容器、水浄化剤などをCAREパッケージにして、Korong Barang-barangan村の人々へ届けました。
「自分がこんなに恵まれていると感じたことはありません。私たちの村は遠隔地にあり、誰も私たちの存在に気づかないと思っていました。」Sariはそう言って微笑みました。「CAREが一番に支援を届けてくれました。」
地震から7日が経ちました。Sari Yaniはトラウマを抱えてしまい、村の外にも行くことができずにいます。以前は、食糧の買い出しに市場へ出かけたりしていましたが、今は、畑で採れるものだけで、なんとか食事をまかなっています。
そして、貯水タンクが壊れたため、500メートル程、丘を下ったところまで水を汲みに行かなければなりません。午前と午後に、家族全員で並んで川まで行きます。Sariはバケツにいっぱいの洗濯物と食器を、Supriyantoは10リットル、Resmonは5リットルのポリ容器を川まで運びます。
「空のポリ容器を丘の下まで運ぶのは大変でないけれど、濡れて重くなった洗濯物でいっぱいのバケツや、ポリ容器にいっぱいの水を持って丘を登ることは、本当に大変です。」
Sariは右腕の筋肉をさすりながら言いました。「本当に疲れ果てました。」
Sari Nayanは今、生活が元通りになり、さらには、地震発生前より生活が良くなるのではと希望を持っています。「村の外に私たちの存在を知っていて、心配してくれる人たちがいるとわかった今、もうこの村が孤立しているとは思いません。子どもたちが家と呼べる場所を再び持つことができるように、彼らが手を貸してくれることを期待しています。」
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