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2005年 1月臨時増刊号(「スリランカ緊急現地報告」)

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          ケア・ジャパン ニュースレター

        **読むだけで国際協力**  2005年1月 臨時増刊号
          < http://www.carejapan.org >

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この度、臨時増刊号を発行させていただくことになりました。
当財団事務局長は、当財団が実施しているスリランカでの事業視察の
ため、12月11日より現地を訪れていたところ、27日の帰国直前にスマトラ沖
地震に遭遇しました。そこで、当初の帰国予定を変更し、そのまま現地に
とどまり、報告を送ってきています。

この臨時増刊号では、これまでに現地から送られた緊急報告と事務局長自らが
現地の人々に接し、記した2つのストーリーをご紹介いたします。


【スリランカ緊急現地報告】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
2004年12月28日
現地時間朝4:30
文:野口千歳 (財)ケア・ジャパン 事務局長

28日朝2時前、1000人以上の命を奪ったと報告される南部ゴール(Galle)を襲っ
た津波から危うく逃れ、無事コロンボ市内に到着した。幸運なことに、私たちが
泊まっていたライトハウスホテル(Lighthouse Hotel)は高台にコンクリと岩で
建てられた頑丈な建物であった。たまたま海岸に面したベランダから遠くを眺め
ていたら、海が見る見るうちに膨れ上がり、7メートル以上もある大きな波が押
し寄せてくる光景を目の当たりにした。数秒後、男性が3人波に飲み込まれて流
されていくのが見えた。即座にホテルのスタッフが反応し、ロープや浮き輪で無
事、救出された。

スリランカの海岸沿いにいた数千人の人々は彼らほど幸運ではなかった。しかし、
電気もなく、テレビやラジオも入らず、携帯電話もつながらなくなったホテルに
閉じ込められていた私たちには、すぐ外で何が起こっているか想像する余地もな
かった。

うわさばかりが流れ、何が真実で何が間違った情報なのか判断のしようがなかっ
た。話によると、影響を受けたのはスリランカばかりではなく、シンガポールや
マレーシアでも同じことが起きたようだ。大きな津波がまたこちらに向かってい
るらしいが、いつ来るか、どのくらいの規模かはわからないから、ホテルの最上
階に避難するか、あるいは、ホテルよりも高台にある小さな教会やゲストハウス
に移ったほうが安全かもしれない。しかし、宿泊客全員を乗せる車があるかわか
らない。徒歩で行くとすれば完全に無防備になりかえって危険かもしれない。

被害の状況も少しずつ伝わってきた。カタラガマ寺院に参拝に行く途中のバスが
流され、乗っていた27人のうち14人が行方不明になっている。つい先ほど、第一
回目の波が押し寄せた後、ホテルを出た家族が車ごと波に押し流され横転し、母
親は即座に死亡、父親は行方不明、8歳になる息子だけ病院に運び込まれた。ホ
テルの駐車場に止めてあった車は浸水したか流されてしまい、私たちの運転手も
すべてを放棄して去ってしまった。被害に遭ったカルタラ町に住む家族の安否を
確認するために戻ったに違いない。これでコロンボに戻る手段がなくなってしま
った。どちらにしろ、この状況ではこのホテルに留まっていたほうが安全と判断
し、その晩の東京行きの飛行機に乗るのをあきらめることにした。

夜になり、ようやく電気が戻ったところでBBCニュースをつけた。各地からの映
像が流れ込むのを見て、ショックで言葉を失ってしまった。ここまで破壊的な津
波で、被害がいくつもの国にまたがっていたとは想像もつかなかった。

私はたまたまケア・ジャパンの事業視察でスリランカを訪れていたのだが、この
ような状況に巻き込まれるとは…。ケア・スリランカのランドクルーザーと面識
のある運転手が迎えに来てくれればこれほど安心することはないのだが、おそら
くすでに現地事務所は緊急体制に入り、人道支援を開始しているに違いない。私
を迎えに来ることよりも、すべてを失ってしまった人々に対する支援に全力を尽
くすことが最優先である。

次の朝、コロンボに戻る手段を確認したところ、海沿いのゴール通りは完全に遮
断されており、通るのは不可能と伝えられた。代わりに内陸部の細い道路がかろ
うじて通行可能らしい。しかし、当然のことながら車やスリーウィーラー(trishaw /
tuk tuk)でごった返しているので何時間かかるかわからない。コロンボから何台
か送られたはずのミニバスがいつ来るかと首を長くして待っていたが、結局通れ
ずに引き返してしまったらしい。ようやく5時ころになり、親切なスリランカ人の
ビジネスマン ニシャンタさんと彼のアシスタント、ドライバーが2人だけなら相
乗りさせてくれると言う。行きたいならすぐに出発しなくては、ということで大慌
てで荷物を積み込んだ。

普段はコロンボまで3時間程度の旅が8.5時間かかった。途中、信じられない光景
をいくつも目の当たりにした。海岸沿いの家が数十件にも渡り完全に水圧でつぶ
され、壁を形作っていたココナッツの葉(cajun)や木の板、コンクリまでが粉々
に破壊され、泥まみれになっていた。バスや車、警察のジープまでが波の勢いで
壁に突っ込み、誰かの家の居間に静かにたたずんでいた。海沿いに建てられた学
校は水没し、窓のふちまで海水が上がってきていた(休暇に入っていたのが幸い
だった)。窓やドアであったと思われる壁にあいた大きな穴からは、さまざまな
家具の残骸とココナッツの木が飛び出していた。まるで空から洗濯籠をひっくり
返したかのように色とりどりの洋服がそこら中に散らばっていた。中にはひたす
らボーっと突っ立っている人もいれば、破壊を免れた私物を忙しく整理している
人もいれば、私たちのドライバーに安全なルートを教えてくれる親切な人もいた。

死者の数は毎時間増え続け、最終的な被害の状況は数週間立たないとわからない
であろう。 しかし、すでにケア・スリランカのような国際NGOが調査を終え被害
が最もひどい東部の地域(バチカロア Batticaloaなど)に対する食糧配給など
の支援を開始している。ジャフナJaffna、ムライティブ Mullaitivu(北部)、
トリンコマレー Trincomalee、アンパラ Ampala(東部)、ハンバントタHambantota
(南部)にも同様の支援を行う予定である。

国際NGOだけでなく、国連機関やODA、現地政府、そしてスリランカおよび日本の
市民が協力して緊急支援を行い、状況が落ち着いたら直ちに復興活動に取り掛か
ることが重要である。20年近く民族紛争で病んだこの国が発展していくためにも、
この悲惨な状況を力を合わせて乗り越えていってほしい。


「パパ、なぜお兄ちゃんを助けてあげられなかったの?」∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
ティリヤイ難民キャンプ、クッチャベリ地区、トリンコマレ
文:野口千歳 (財)ケア・ジャパン 事務局長
2004年12月30日

ティリヤイ難民キャンプにケアの緊急援助チームが到着した。ここトリコマレを
津波が襲ったのはつい2日前。人々の生活は一変した。緊急物資を届けに来たケ
アのスタッフに駆け寄る人込みから離れ、だた一人、静かにたたずむ男性がいた。

彼の名はヤシム・バヴァファリル(37)。小さな漁村プダワイカッドゥを襲い、
250世帯もの家族の人生をズタズタにした大きな津波で息子を失った。

その朝、彼はいつものように海に出る用意をしていた。彼は漁師だが、その収入
だけでは家族を養うことはできない。妻は中東に出稼ぎに行っており、裕福な家
庭でメイドとして働いていた。

ふと顔をあげると、彼は海が異様な動きをしていることに気づいた。海水が膨れ
上がり、どんどんこちらに向かってくる。驚く間もなく、本能的に、5歳の息子ハ
サッドがコーランを読むためにアラビア語を勉強しているモスクに向かって彼は
走り始めた。

ほんの数秒、遅かった。ハサッドが波にさらわれ、海に飲み込まれ消えていくの
が見えた。途方もない無力感が彼を襲う−彼には何もなすすべもなかった。振り
返ると、ケジャン(ココナッツの葉)でできた彼の家が海に流されていくのが見
えた。次の瞬間、彼の母親のところに預けている小さな娘のことが心配になり始
めた。

Y.ナイヌールさんは老齢に悩まされていた。特に足が弱くなってきており、歩く
ことさえ億劫だった。しかし、大きな波が押し寄せてくるので高台まで避難しな
くてはならないと聞いたとたん、痛みなど忘れてしまった。孫娘を守らなくては。
「小さなファルウィンを助けて。私たちを助けて!」彼女は叫び始めた。しかし
周囲の人々は、皆自分のことと家族を救うことだけで精一杯である。誰かの助け
をあてにしてはならないと悟ったとたん、どこからともなく力が湧いてきた。彼
女は孫娘を抱え上げ、学校に向かって走り始めた。皆、どうもそこに避難しよう
としているらしい。

ヤシムさん、彼の母親と3歳の娘はティヤイメハヴィディヤァラヤム学校の仮設
キャンプで再会することができた。同じ村の人々は、大雨の中、15キロ離れた難
民キャンプまで、走ったり歩いたりしてようやくたどり着いた。ヤシムさんの家
族は家とともにすべての持ち物を失った。漁の網、そしてミシンも、すべて海に
流されてしまった。生活の糧がなくなってしまった。

昨日、息子ハサッドの遺体が数件離れた家の近くで見つかった。イスラム式の葬
式をあげた。妹はまだ小さくて、何が起きたのか理解することができない。この
5日間、「なぜお兄ちゃんを助けてあげられなかったの? なぜ止めることがで
きなかったの?」と問い続けた。ヤシムさんには返す言葉もない。今ではファル
ウィンは、「海がお兄ちゃんを連れて行っちゃったの」と言うだけである。彼は
ひざもとの幼い娘を愛と苦痛に満ちた目で見下ろした。


【波に消えた病院と村】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
シンニヤ・キニヤ、キニヤ地区、トリンコマレ
文:野口千歳 (財)ケア・ジャパン 事務局長
2004年12月30日

シンニヤ・キニヤには1つしか病院がない。その病院が消えてしまった。中にい
た人々とともに。生き残ったのは一人の医者だけだった。約145人の患者、10人ほ
どの看護婦とスタッフは皆、海にさらわれてしまった。幼い子どもも、妊婦も、
そして病で寝込んでいた人も。本来なら、最も初めに救出されるべき人々である。

しかし、救出する時間などなかった。海沿いにあるこの村は、瞬く間に流されて
しまったのだ。逃げることができた者はほんの数名である。体力があった者でさ
え、予告もなく襲ってきた大きな津波から命からがら逃れた。

病院を訪問する途中、コンクリートの塀に囲まれた平地に案内された。何本かの
木と雑草がところどころに生えており、牛がのんびりと草を食べている。あちら
こちらに木でできた標(しるし)が植えられており、誰かの墓であることがわか
った。

同じ土地には、18メートル×6メートルほどの広さの新しく掘り起こされた跡が
あった。なぜか学校の机やいすが無造作に積み上げられている。ここに、400人以
上の遺体がまとめて埋められているという。当然、遺体が発見された人だけがこ
のようにお墓を作ってもらえるが、多くは海に流されてしまった。見つからない
人々は、きちんとした埋葬もしてもらえない。

私たちは海岸沿いを村まで歩いた。マスクをつけたボランティアが腐敗し始めた
動物の死体を処理していた。崩れ落ちた建物の下や木や茂みに絡まっている死体
が見つかる可能性もなくはない。動物が焼かれる匂いとプラスチックが溶けて発
生する黒い煙が私たちの進む道へと流れてきた。病気に感染することの危険性に
ついて散々聞かされていた地域の人々が、リスクを小さくするために彼らが出来
る限りのことをしているのである。

そこら中にいろいろな物の破片が転がっていた。家の一部だったレンガ、コンク
リートの壁の断片、恐らくベッドやいすの一部であっただろう木の板など。それ
らにつまずかないように、積み上げられたさまざまな残骸の山を避けて歩こうと
すると、まっすぐ歩くようにと言われた。

どうやら、民族紛争時代の名残で近くに軍のセキュリティ・ポストがあり、周辺
にはいまだに地雷が埋められているという。問題は、津波により、地雷の埋めら
れている場所を示す地図まで流されてなくなってしまったことだ。さらに悪いこ
とには、水の勢いが強烈であったため、むき出しになっている地雷もあり、また、
私たちの通り道のほうまで移動してきてしまっているものもあるかもしれないと
いうことだ。

唯一生き残った病院の医者に話を聞きに行くことになった。その医者は、今、何
キロか先にある別の病院で患者の手当をしているとのこと。私たちはまだ朝食も
昼食もとっていなかったことに気づき、ちょっと休憩をしてお茶を飲んでから行
くことにした。

小さな喫茶店に入ろうとしたちょうどその時、狂ったように警笛を鳴らしながら
すごい勢いで走ってくる車の音が聞こえた。皆、何事かと振り向いた。すると、
道を歩いていた人たちが何か叫びながらこちらに向かって走り始めた。私たちの
案内役をしてくれていたケアのプロジェクト・オフィサーのプレガッシュが、自
分が確かめてくるからそこで待っているように、と不安そうにしている私たちに
言った。その時、車を道端に止めに行っていたはずのドライバー、ジェスダーサ
ンが車を走らせてこちらにやってきた。彼の恐怖におびえた目と“We go!”と興奮
気味に叫ぶ声につれられ、私たちは皆一斉に車に飛び込んだ。

パニック状態が人々の間に一気に広がった。「水が来るぞ!みんな逃げろ!」と
いう叫び声と悲鳴が聞こえた。皆、死に物狂いで海と反対方向に走り始める。男
たちは妻と子どもを連れ出すために家に飛び込んだ。年老いた女性たちは、近所
の人のバイクの後ろに乗せてもらおうとする。小さい男の子が弟を安全なところ
に連れて行くため、自転車に乗せてバランスをとろうと必死になっていた。

車のラジオをつけると、一回目の地震よりも小さい地震が発生し、南インドを津
波が襲ったというニュースが流れた。スリランカでは、万一に備えて、海岸から
離れて内陸部に避難するよう、警告が出ていた。特に差し迫った危険があるわけ
ではない。しかし、一度このような悲惨な経験を生き延びた者は、二度と同じ経
験をしたいとは思わないものである。何キロか内陸部まで車を走らせると、少し
ずつパニック状態が止み、平静が戻り始めた。

その後、仮設キャンプで水や衣類、マット、タオル、石鹸などの物資配給の調整
にあたっていたケアのスタッフ、ラジャに会うと、私たちが波に消えてしまった
のではないかと心配したという。あのパニックの原因は、私たちが訪れていた
「キニア」と、津波が襲ったインド−「インディア」を誰かが聞き間違えたこと
によるらしい。

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