「歩き出した東ティモール」フォトジャーナリスト 佐藤慧
「歩き出した東ティモール」フォトジャーナリスト 佐藤慧
タラップを降りると、2年前と変わらないこじんまりとした空港に安堵し、胸いっぱいに南国の、湿度の高い空気を吸い込んだ。青い空はどこまでも高く澄み渡り、木々は命に溢れていた。入国審査のとき、現地語で挨拶すると係員は嬉しそうに「東ティモール、好きなのかい?ありがとう!」と満面の笑みをくれた。前回感じた、人々の心が温かい国という印象は、どうやら今も変わっていないようだ。
ケア・インターナショナルの提供する学習・情報支援雑誌、「ラファエック」は、この国で神の動物と言われている「ワニ」という意味の現地語だ。ポルトガル植民地支配時代、日本軍の進駐、インドネシア侵攻、そしてその占領時代と、激動の社会遍歴を持つこの国では、言語が常に大きな問題となっていた。伝統的にも、各民族の話す言葉があり、そこにポルトガル語、インドネシア語などが入ってきた。各年代、地域によっても得意とする言葉が違うなど、その差異は教育分野で大きな障壁となっていた。「いったい、どの言語で教育を受けるのか?」。それはそのまま、生活上の情報格差に繋がり、就労、経済の問題とも結びついている。そんな混乱の中、「ラファエック」は、新聞、雑誌などの入手も限られる地方では、ほぼ唯一といってもいい現地語(テトゥン語)の情報源だ。
今回地元スタッフと配布に向かったのは2箇所。そのひとつ目が首都のディリから南へ3時間ほどの山間部、アイナロ郡ホラキイク村だ。海岸に面したディリと違い、標高が高くなるにつれ空気が変わる。背の高い木々に囲まれた山間の村々は、朝は濃い霧に包まれ、清々しい風の吹く過ごしやすい土地だ。「ラファエック」配布を受けに集まった人々は、その豊富で色鮮やかなイラストに目を惹かれ、興味深げにページをめくっていた。スタッフは、雑誌を見ながらの説明に加え、この情報を活用するためのワークショップも定期的に開催する。内容は幅広く、保健、識字、市民教育から生活の知恵など盛りだくさんだ。大人用、子供用、先生用と各種内容が異なるものの、子どもたちも大人に混じってページを覗き、そこに広がる未知の世界に魅せられていた。
2箇所目のマウベシ村リアモリ小学校では、マスコットキャラクター「ラファエック君」に扮するスタッフが登場。生まれて始めて見るワニの着ぐるみに、子どもたちも興味津々。驚いたり、歓喜の声を上げたり、泣き出す子もいたりと大騒ぎだった。そんな子どもたちにレンズを向けていると、その澄んだ瞳に吸い込まれそうになる。なんて、美しい瞳をしているんだろう。東ティモールは、その近代史に数え切れない悲しみと血痕を刻み込んでいる。多くの人が戦乱の最中、愛する人を失い、繰り返される憎悪と恐怖の中を生き延びてきた。独立後、そんな凄惨な過去を知らない新しい命が数多く生まれた。彼らを育てた人々にとって、この新しい命は、絶望の日常から未来へと続く架け橋だったに違いない。たっぷりと愛情を受け、世界の美しさに、不思議に、素直に感動する小さな妖精たち。未だ多くの社会的困難を抱えるこの国の未来は、そんな彼らの成長と共にある。輝く瞳はどんな未来を見ているだろう。若き国は、どんな成長を遂げていくだろう。今、東ティモールは、その未来に新たな一歩を踏み出している。
佐藤 慧氏(プロフィール)
1982年岩手県生まれ。米国のNGOに所属して、南部アフリカ、中米の地域開発事業、ザンビア共和国の学校建設プロジェクトに携わる。
2010年studio AFTERMODEに入社し、フォトジャーナリストとして活動を開始。写真と文章を通じて、人間の可能性、命の価値を伝え続けている。
2011年世界ピースアートコンクール入賞。
► CAREフォトギャラリー「3年目 -痛みの先に」
► CAREフォトギャラリー「~Lolo sae~ 東ティモールの日の出」