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戦後76年:多くの日系人から届いた「CAREパッケージ(ケア物資)」

「終戦以来、ララ物資、ケア物資、救済小包その他各種の形式により、ハワイ並びに北南米在留同胞及び日系市民のわれわれに示された援助は莫大な数量にのぼり、真に感謝に耐えないところである。これらの厚意がいかにわれわれの慰藉と激励となったかは今更いうまでもない」

これは、1949年(昭和24年)4月28日、衆議院において、
松本瀧蔵議員(広島県選出)らが提出した「ハワイ並びに北南米在留同胞及び日系市民の対日援助に対する感謝決議案」の本文で述べられたものです。

この感謝決議案は直ちに可決されました。

1948年から8年にわたり、米国から日本に届けられた「ケア物資」は、戦後、困窮した1,000万人の日本人を救いました。

シアトル在住の日系3世のP. H. T. さんは、3人兄弟全員で、母が母親がケア物資を購入したり、梱包したりするのを手伝ったことをよく覚えているといいます。

「私たちが送ったCAREパッケージは、おそらく広島にいる親戚に届けられたと思います。米国の北西部一帯の日系米国人コミュニティがCAREパッケージを送っていました。シアトルに移民した人たちで最も多かったのが広島出身者でした」

同じくシアトル在住のY. I. M. さんも、母親が広島の親戚や友人たちにケア物資を送っていたのを覚えています。

「母は、食糧が詰まった段ボール箱をお米の入っていた丈夫な布の袋に詰め、郵便局に持っていく前に縫って封をしていました。衣料品などの物資不足により、日本人は手に入れたものは何でも着ていたと思います。

私たち家族の友人によると、CAREパッケージを受け取ったその友人の親戚は、とても感謝し、CAREパッケージの段ボールで靴を作ったとのことです」

まもなく戦後76年になります。戦後の衣料・食糧等の物資が絶対的に不足した日本に対して、このように、米国やブラジルの多くの日系の人々がケア物資を送ってくださった事実を語り継いでいきたいと思っています。

▲Y. I. M. さんのお姉さんのおさがりのコートを着る広島の従弟たち


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