ガザ人道危機:イスラエルによる退避命令をうけたガザ市民の証言:私たちはどこに行けばいいのでしょうか

2024年7月、CAREガザチームは、三つ子を出産した直後のハナ(仮名)が家族とともに避難していたテントを訪問。同チームは、親子の診察のためにクリニックへの来院を手配し、また、粉ミルクと、当時ガザに入手可能だったベビーキット(衣類や必需品を含む)を子ども一人につき提供しました。
その後も、定期的に、家族と連絡をとっていたところ、2025年9月にイスラエルがガザ市民に対し退避命令を発出したことをうけて、ハナの夫バセム(仮名)から現状を訴える証言が届きました。そのなかで、夫妻に第4児が誕生していたことも知りました。
おはようございます。私たちはまだ無事です。イスラエル軍は、私たちの地域にあるすべての高層ビルを標的にすると通告してきました。残念ながら、私たちのアパートは5階にあります。
私たちはガザの旧市街におり、その半分はアルザイトゥーン地区、もう半分はアルダラージ地区に属しています。
私たちはアルザイトゥーン地区の南側にいます。地区全体が破壊され、旧市街を構成する部分以外は残っていません。イスラエル軍はまさに郊外に展開しています。
2週間前、イスラエル軍の戦車は私たちから、およそ200メートルまで接近し、移動するたびにエンジン音が聞こえました。その際、地域の住民の大半は避難し、離散しました。私たちは数人の隣人とともに残りました。家族に再び避難という苦い経験を味わわせたくなく、子どもたちにもテント生活に戻ってほしくありません。テントには尊厳ある生活に必要なものが何一つ揃っていません。しかし同時に、目の前で命を落とす姿も見たくはありません。私が子どもたちの責任を負っています。

もし空爆が私たちの地域に近づき激化すれば、必ず避難せざるを得ませんが、南部に避難させられることだけは全力で避けたいと思います。市内で場所を転々とするつもりです。イスラエル軍が我々の地域に侵入した場合に備え、アルダラージ地区に2部屋と浴室からなる住まいを用意し、家族とともに移る計画です。しかしこの場所も安全とはいえず、結局は街を離れざるを得ないのではないかと不安です。
2023年10月7日以来、恐怖は私たちの影のように付きまとっており、日々その姿はこれまで見たことのない形へと変化しています。先日、半壊した私たちのアパートにドローンが侵入しました。映像を記録し爆弾を投下できるタイプの機体です。窓際に止まり、私たちを撮影していました。私は立ち上がり、妻に落ち着いて、動いたり隠れたりしないよういいました。それが私たち全員を殺す可能性があるからです。17か月の娘メイサム(仮名)は、それが致命的な兵器で玩具ではないと知らず、意味不明な言葉でドローンに話しかけ始めました。1分後、ドローンは台所の窓から、家を出ていきました。2日おきに別の隣人がこのドローンの訪問を受けています。
自宅は5階にあり危険でリスクが高いため、私たちは家を離れました。父の家は、避難してきた親戚やいとこたちで満員のため、今は叔父の家で部屋を共有しています。
毎朝、クアッドコプターが家々を攻撃する音で目を覚まします。多くの人々がこの地域を離れ、南部で土地や家を借り、衣服や家具などの所持品を南へ移しました。強制的に追放されることを恐れてのことです。そうでなければ、そうした行動は不可能だったでしょう。
不安が私たちを締め付けています。南部の家賃は驚くほど高く、ごく普通の小さなアパートでも最低2,500シェケル(およそ750米ドル)かかります。今ではその倍になったと聞き、人々がテントを張る土地にさえ家賃を払っているといいます。
最も切実な疑問は、どこへ行くべきかということです。
当然ながら、誰もが最悪のシナリオである追放に備えています。明日、我が家がどうなるのか、この家で生き延びられるのか、それとも追い出されるのか、私にはわかりません。
当然ながら、追放されれば苦しみは増幅します。テントでの生活は、ゆっくりと死を宣告されるようなものです。それは身体から魂を奪い、心を苦しめます。

私たちが直面している困難の一つは、荷物を運ぶ費用です。トラック一台の費用は2,500シェケル(およそ750米ドル)以上かかります。子どもたちには粉ミルク、おむつ、栄養補助食品が必要ですが、残念ながら三つ子と四人目の子どもの必要を満たすことができず、子どもたちは急性栄養失調に苦しんでいます。私の日常がどのようなものか、想像に難くないでしょう。私は早朝に起きて、1枚11シェケル(およそ3.3米ドル)で売られているおむつを12枚と、80シェケル(およそ24米ドル)の粉ミルク1缶を探しに行きます。栄養補助食品を買う余裕はありません。これらは家財道具を購入しない場合の子どもたちの日々の支出です。1か月前に粉ミルクが切れた時は全脂乳で代用せざるを得ませんでしたが、残念ながら子どもたちはこの代替品を受け入れてくれません。
バセム*とハナ*はガザ出身の夫婦で、2023年10月の武力激化の直前に妊娠が判明しました。3度目の体外受精治療が成功したのです。2023年11月18日、ハナの帝王切開を予定していた病院から「多くの医療サービスが機能不全に陥っているため帝王切開を受け入れられない」と通告され、代わりに南部の病院へ行くよう指示されたため、夫妻はガザ地区南部のガザ市にある自宅を離れました。
南部のテントでの避難生活は15か月近く続き、容易なものではありませんでした。ハナの妊娠合併症や必要な薬の確保に苦労するなか、一家は何度も避難を余儀なくされました。2024年4月11日、夫婦は早産で生まれた三つ子を授かりましたが、特別な医療ケアと経過観察が必要でした。2025年2月の停戦期間中、夫婦は三つ子を連れてガザ市へ帰還。同年8月には第四子を出産しました。
*個人情報保護のため名前を変更しています。

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