「CARE パッケージ」から始まった ケア・インターナショナル ジャパンの歴史
「CARE パッケージ」から始まった ケア・インターナショナル ジャパンの歴史
当財団が発足する礎となった「CAREパッケージ」。1948年(昭和23年)から8年間にわたり、1,000万人の日本人が支援を受けました。
毎月、米国市民の善意が郵便局から届いた時代がありました。
開けてみないと中に何が入っていのるかわからない福袋のような小包には、無駄なものは何一つ入っていませんでした。
日本に届けられたもの
「CAREパッケージ」は郵便局の窓口で受け取る方式でした。
これは、物資を必要としている人たちに直接かつ確実に届けるためにCAREが考えた方法でした。
当時、日本に届けられたCAREパッケージは、乳児向け、幼児向け、標準食糧など発育段階に応じて分かれていました。
また、缶詰類が入っている場合は缶切りも同封されているなど、細かい配慮が見られました。
標準的な食糧類の例を挙げると、全脂粉乳、チョコレート、干しぶどう、小麦粉、砂糖、ベーコン、マーガリンなど。それ以外の生活必需品については、石鹸、木綿生地、シャツ、毛布などがありました。
さらに、医療器具、大工用具、左官工事や電気工事のための道具や資材、農作物の種子や農具なども多数送られてきました。
食糧や衣類などの緊急物資に加え、道具や資材が送られてきたことで、職業訓練の実施や技術者が就業できる環境作りが可能となり、日本人の経済的自立に大いに役立ちました。
これが、今日のCAREが活動を通して実践している「自助努力の支援と持続的発展」の先がけをなす精神です。
さらなる発展を見せるCAREの支援
1949年(昭和24年)に入り、CAREは日本全国の小学校を対象に、学校給食用の脱脂粉乳の供給も開始しました。
当時の発育盛りの子どもたちに、脱脂粉乳を唯一の栄養源として安定的に摂取させていくための学童向け食糧支援事業の一環でした。
また、国会図書館に対して1,000ドル相当の医学書や科学書を寄贈、さらに明治学院大学、津田塾大学などの教育機関や公共機関にも書籍を贈りました。
その後、一般にもその対象を広げ、家庭内でも絵本などの図書を自由に手にすることができるようになりました。
こうした8年間にわたるCAREによる支援活動は、日本が経済復興の兆しを見せた1955年(昭和30年)12月30日にその幕を閉じました。
現代もなお、CAREの活動に息づく「CAREパッケージ」の精神
現代の「CAREパッケージ」には、米国製のミルクもウールも入っていません。
今日では、CAREの援助物資は、途上国の自国経済を助けるために、極力、現地あるいは周辺国で調達されます。
そして生活様式や宗教・文化へのよりきめ細やかな配慮がなされ、ますます多様化されています。
さらに、現代の「CAREパッケージ」は、その形態や規模も様々です。
CAREは、援助物資を配布するだけでなく、より良い教育へのアクセスを提供し、持続可能な農業を促進し、
村人による貯蓄貸付組合への参加を通じて家計所得の向上を支援しています。
現代の「CAREパッケージ」は、70年前のそれとは“中味”は違えど、当時のパッケージに詰められた“精神”は今も強く息づいています。
【関連情報】
▶「CARE パッケージ(ケア物資)」から始まった ケア・インターナショナル ジャパンの歴史
▶「CAREパッケージ(ケア物資)」にかかる新たな発見
-10ドルで個人から個人へ届けられた、多くの日系人もかかわった、最も弱い立場におかれた人々に確実に届いた支援の原点
▶CAREパッケージ(ケア物資)を受け取った人のお話し
-郵便局員が自転車で届けた、戦争で夫を失った妻たち限定で届けられた、給食を通じて届けられたお話し
▶CAREパッケージ(ケア物資)を送った人のお話し
-シアトルから広島へ、お母さんが送るのをお手伝いしたお話しなど