CAREと日本 ―戦後75年を踏まえて
こんにちは。広報インターンの吉水です。
今日は、CAREと第二次世界大戦直後の日本とのかかわりについてお話しさせていただきます。
戦後日本には、脱脂粉乳や小麦粉などの食糧や石けん、毛布などの生活必需品などが「ケア・パッケージ」という形で送られました。このパッケージの送り主の正体は、当時アメリカの各個人からの寄付を受け取っていた、アメリカ発のNGO、CAREです。当時、パッケージを受け取った記憶があるという方へのインタビューの中での、「今の私があるのは、見ず知らずの人の助けがあったからです」という言葉を通し、いかにそれらの物資が彼らの生活や心の支えになっていたかを思い知らされました。
日本は世界唯一の被爆国でありながら、戦後大きな成長を遂げ、今やアフリカや東南アジアへ支援物資を送る側としての立場にあります。グローバル化が進み、他国での社会問題はもはや他人事としてとらえられなくなっている世の中ではありますが、日本によるさまざまな支援活動の根本には、このような「受ける側」としての経験や、それに対する感謝の意があるということに気が付かされました。
今年の8月15日で、戦後75年を迎えます。被支援国としての日本の姿を直接耳にする機会は、今後ますます失われていくように思えます。ですが、このように遠く離れた国に住む個人やNGOなどによる支えが私たちの今の恵まれた生活の基盤となっているのだということを深く心に留め、日々の生活に感謝していきたいと今あらためて思います。
(トップの写真:広島在住の一家。父親は被爆し、ケア物資の受け取り当時、家には食べ物がなかったという。写真二枚目:戦後東京の家庭。毛布や毛織のセーターなどが届けられている様子。)
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→「CAREの歴史」
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