戦後77年:混乱期の日本を支えた「CAREパッケージ(ケア物資)」

1948年、沖縄指揮官であったジョセフ・シーツ氏(写真左)と沖縄民政府知事・志喜屋孝信氏(写真右)は、琉球放送局(呼出符号AKAR)を通じて、米国から沖縄の人たちに必要な支援が届いたことをリスナーに伝えました。

同番組内では、イリノイ州オークローンの子どもたちから寄付された最初の「CAREパッケージ(ケア物資)」が、沖縄戦で夫を亡くした、5人の子どもを養う女性に贈られました。

両親は戦争で亡くなり、家は壊れ、戦後の苦境にある隣人に助けを求めるわけにもいかず、ましてや終戦で混乱している行政に頼ることすらできませんでした。少年らは結束して靴磨きやタバコの吸い殻集めをして生き抜いていました。
この写真が撮影される直前まで、少年らは地べたで寝ていましたが、数日前の台風で壊れた木材が手に入り、このように組み立てて雨露をしのげる居を構えることができました。
そんな少年らのリーダーであったオガサワラ・タカシ氏に当時のCARE駐日代表ジェレミー・ボワセベン氏から「CAREパッケージ(ケア物資)」が手渡されました。


当時の神奈川県知事・内山岩太郎氏(写真右)がハラ・ロクロウ氏(左)とシマダ・エイコ氏(中央)に「CAREパッケージ(ケア物資)」を手渡しています。
1949年4月27日横浜にて撮影されたこの贈り物は米国からではなく、初めてブラジルの善意から届いたものです。

1948年から8年間にわたり、1,000万人の日本人が「CAREパッケージ(ケア物資)」を受け取ったとされています。日本の復興の兆しを見た1955年12月30日をもって幕を閉じた後、1987年には日本にもCARE事務所が設立され、世界への恩返しが始まりました。
現代の「CAREパッケージ」は、その形態や規模も様々です。今日では、CAREの緊急支援物資は、途上国の自国経済を助けるために、極力、現地あるいは周辺国で調達されます。そして生活様式や宗教・文化へのよりきめ細やかな配慮がなされ、ますます多様化されています。


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